私は5年前までこのトンガリロのエリアに2年くらい住んでいた。
この場所に来たきっかけは、偶然にBackpacker’s board と言う掲示板で
求職の記事が出てたのが目に入ったから。
一度ジョブインタビューで訪れて一目でこの地が好きになった。
それにはここのボスの存在が大きい。
当時の私は全然彼と会話すらままならなかった。
少しKiwiなまりの彼が何言ってるか分からなかったし、
彼も私の英語は何を言っているのか分からなかったらしい。
最低時給より2-3ドル高い時給だったので応募が殺到したらしいが
何故か採用してくれた。
このボスが本当に素敵な人物で、今でもずっと尊敬している。

当時はせっかくNZにワーホリに来たんだから、
日本人が一人もいなさそうなところで働きたいっていう思いで働き出したけど、
最初は想像以上にみんなの英語がわからなくて大変だった。
仕事の内容は、朝から昼まではロッジの客室のお掃除。
夕方からはレストランのウェイトレスと、キッチンハンド。
私以外のメンバーは全員Kiwiで、一人だけワークビザのイギリス人がいた。
最初の一週間は本当に伝わらなくて、わからなくて、
自分が5歳児のように感じて辛かった。
でも職場の人達が決して諦めることなく私に伝えようとしてくれたし、
私が訳のわからぬミスをし続けても笑ってくれた。

仕事の合間には常に外に連れ出してくれて色々なアドベンチャーを経験した。
なかでもハンティング連れていってくれてくれたのはいい経験だった。
日没の時間帯になったら出発。
それぞれハンターによってお気に入りの場所があるらしく、
それぞれ人によって向かう場所は違った。
ハンティングの仕方も人によって全く違った。
ケイトリンとの時は見晴らしの良いスポットへ行ってひたすら待つ。
獲物(鹿)が現れたら出来るだけ近くにくるのを待つ。
ジョノと行く時はひたすら練り歩く。
少し明るい時間帯からGPSを確認しつつ何時間もかけて道無き道を歩いて獲物を探す。
ダンはとにかく走る。猟銃を抱えたままひたすら走って
動物の気配がしたら抜き足差し足。
ブッシュの中を走り回って帰って自分の足を見てみると
いつもカッティンググラスにやられて足が傷だらけだった。
あの緊張感と獲物を探すというアドレナリンは
他の何事とも変えがたい。
薄暗い森の中で気配や音に全集中する。
空気が張り詰めていて
生きているという感覚が研ぎ澄まされる気がした。
この経験は私の中で一つの結論を生み出すことにもなる。
その当時は自分の食事の選択肢を色々と迷っていた。
ビーガンになったり、ペスカタリアンになったりと考えを巡らせていたこともあったのだが
仕留めた獲物を自分で処理し、美味しく頂くという工程を見届けた時に、
こういうことなんだなっとなんだかすごく納得したことを覚えている。
自分達で仕止めた鹿の肉は格別だった。

トンガリロでの暮らしでもう一つ大きな出会いがあった。
それはイダーナという7歳だった女の子。ボスの娘だ。
彼女は私の英語の先生だった。
というか彼女が私の通訳だった。
私の気持ちについていけてないデタラメな英語も何故か彼女なら理解してくれて代弁してくれた。
私たちは常に一緒にいた。
彼女がよく連れていってくれたBackpaddock。
1時間半くらい牧草地を歩くと出てくるオアシスのような美しい水の溜まり。
そこで二人でハングアウトするのが二人のお気に入りのアクティビティーだった。

トンガリロで経験したことは私の人生の中で一つの大きな事件的な意味を持つくらい
全てが糧になっている。
他にも書きたいことはいっぱいあるがまた別の機会に。

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